【Annexe Café】 それぞれの夜
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Annexe Café

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□ 短編 □

それぞれの夜

 お疲れ~、とぞんざいに手を上げながら、潜書室のドアを開けた坂口の耳に太宰の鋭い声が飛び込んで来た。
「それだけかって言ってるんだ!」
「何だ?」
 驚いた坂口は、思わず、足を止めた。
 見ると、部屋の中ほどで太宰が白樺派の二人と睨み合っていた。織田は三人から少し離れた処で戦闘で乱れた髪を無言で結い直している。太宰が更に武者小路に詰め寄った。
「勝手に一人突っ走って言うことはそれだけかよ!」
「……皆、無事で良かった」
 少し間を置いて、武者小路は答えた。それが火に油を注いだのか、太宰は一息に捲し立てた。
「筆頭なら、もっと周りを見て行動しろよ! お前に振り回されるこっちの身にもなれ! これは遊びじゃないんだ!」
「……遊んでいるつもりはない。僕は務めを果たしただけだ」
「人の苦労も知らないで綺麗ごとを言うな! お前は周りを振り回して飽きたら放り投げる子供と同じだ!」
「違う! 僕はっ……!」
 言い掛けて武者小路は言葉を呑み込んだ。グッと掌を握り締める。志賀が苛々と前髪をかき上げた。
「もう良いだろう、太宰。あそこまで追い詰めたら、お前だって仕留めるつもりだったはずだ。結果は変わらねえよ」
「そんなのわからないだろう! もし、誰かがやられたら、どうするつもりだったんだ!」
「何だ。お前、自信がなかったのか。ダッセ~奴」
「ふざけるなっ!!」
 今にも本から大鎌を取り出しかねない形相で太宰は大きく手を横に振った。そのとき、ふと背中に重みを感じた。振り返ると、織田がだらしなく後ろからもたれ掛かっていた。
「太宰クン、もうええやん。ワシ、お腹空いたわ。ペコペコや」
「お、お前なあ……」
 太宰は不満そうに唸った。状況のわからない坂口はただ傍観していたが、それ機に口を挟むことにした。このままでは埒が明かない。
「オダサクの言う通りだ、太宰。その話は後で俺がゆっくり聞いてやる。取り敢えず、さっさと補修室へ行って夕飯にするぞ」
「安吾、オダサク……わかった」
 二人に促され、太宰は仕方なく従うことにした……が、最後にもう一言と志賀と武者小路を鋭く指差した。
「もう金輪際、お前達とは組まないからな!」
「それは司書さん次第だと思うよ」
 僕には決められない、と武者小路は小首を傾げた。すかさず反論しようとした太宰の外套を坂口が強く引っ張る。
「太宰」
「……っ……わかった」
 渋々口論をやめた太宰は坂口と織田に続いて荒々しく部屋を後にした。

 太宰と織田の侵蝕は大したことなく、補修は直ぐに終わった。その足で三人は坂口の部屋へと向かった。白樺派との潜書で色々不満も溜まっただろう二人のために坂口は得意の安吾鍋を用意していた。
「適当に座ってくれ」
 和室なのに大きなベッドが右側に鎮座する雑然とした室内には丸いちゃぶ台があり、そこに卓上用のコンロと土鍋が置いてあった。何かを煮込むコトコトという心地良い音が聞こえる。三人はそれを取り囲む様に腰を下ろした。座る場所はいつも同じ……坂口は正面の窓を背にした上座、太宰は後ろに倒れても広さに余裕のある左側、織田は直ぐベッドに寄り掛かれる右側だった。
 坂口が少し身を乗り出して土鍋の蓋を開けた。今日は何を入れたのか、具材は総て微妙な桃色に染まっていた。しかし、坂口は平気な顔でそれを小さな器に取り分け始めた。その間に太宰は持参した酒を三人のグラスに、あまり飲めない織田には食堂から貰って来た緑茶も置いた。
「ワシ、することないやん」
 織田は両手を頭の後ろで組むと、ベッドに大きく寄り掛かった。坂口が桃色の野菜や肉の入った器を差し出した。
「ほら、熱い内に食え」
「……これ、食べても平気なん?」
 受け取ったものの、織田は不安そうに尋ねた。坂口は無言で頷くと、太宰にも器を渡した。それを手にした太宰もやはり少し躊躇った……が、空腹に耐えかねて白菜と思しき物を恐る恐る口に入れた。ふわっと広がる味噌の香りとピリッと舌を刺激する何かが白菜の甘味と巧く調和している。
「んっ……何か良くわかんないけど、旨いじゃん、これ」
「だろう。見た目はちょっとあれだが、味は保証するぜ」
 坂口は得意げに胸を張った。まだ決心のつかない織田を優しく急かす。
「オダサクも早く食ってみろよ。腹減ってるんだろう」
「そやけど……安吾、一体、何を入れたん? 白い豆腐が桜色になっとるで」
「企業秘密」
「何か怖いわ~」
 織田は戯(おど)けて小さく震えた。しかし、仕方なく腹を括ると、豆腐の欠片を少しだけ食べてみた。
「……ほんまや。味は悪うないな」
 二口目に箸をつける。
「だろう。好きなだけ食え」
 その反応に坂口は満足そうに微笑んだ。
 ……一時間後。適度に空腹も満たされた坂口と太宰は完全に飲みに入っていた。そうなると、当然、話題は白樺派へと流れてゆく。太宰は先刻の潜書を思い出し、机の上で酒のグラスをきつく握り締めた。
「確かにあいつらは強い。まあ、俺達よりかは劣るけど。だからってっ……!」
 憤懣やるかたないと言った様子で太宰はグイっと中身をあおった。早々に箸を置いていた織田はベッドに長く伸ばした右腕を枕にしながら、せやな~、と気怠げに呟いた。
「まさか武者小路はんが突っ込んで行くと思わんかったわ、ワシ」
「だろう! 四本刀じゃあれを倒すのは厳しいとわかってたはずだ。なのに、あの馬鹿武者はっ……!」
「それでよく倒せたな」
 ちびちび酒を飲みながら、坂口は太宰へ瞳を流した。時間掛かっただろう……?
「……オダサクの一撃が急所に決まった。あれ以上、長引いたら……多分、ヤバかった」
 苦しげに太宰は答えた。織田が欠伸を一つ噛み殺す。
「ほんま……っ……運が良かったわ」
「……だな」
 坂口は小さく頷いた。そして、織田を見てベッドを軽く顎で指した。
「眠いなら寝て良いぞ、オダサク……夜更かしは身体に障る」
「そんな昔やあるまいし」
 ケッ、ケッ、ケッ、と織田は笑った。しかし、その声に力のないことは自分でも気づいていた。
 前世で長く患っていたせいか、織田はあまり身体が強くなかった。元の造りが弱いのは補修でもどうにもならないらしい。少し無理をすれば、直ぐ胸が痛んで熱を出してしまった。そんなとき、坂口と太宰は付きっ切りで看病してくれた。もう一度、笑おうとして咳が出る。
「こほっ……!」
 咄嗟に胸を押さえようとした手を織田は辛うじて止めた。これ以上、優しい二人に迷惑を掛けたくなかった。心配させたくなかった。唐紅の瞳がすっと沈む。
(いっそ怒ってくれたら、楽なんやけどな……)
 そうしたら、二人を振り払って一人で飛んでいける気がした。昔から三人の中では自分が先に逝くと思い、事実、そうなった。しかし、人間の様な死のない今の自分がこの温もりを覚えてしまったら、もう二度と手放すことは出来ないだろう。どんなに足手纏いになっても、きっと醜く二人にしがみつき、いつか必ずその羽を奪ってしまう……自分は置いていかれることに慣れてないから。それが怖かった。そのくらいなら、いっそ――……
「オダサク」
 呼ばれて織田は無言で昏い瞳を上げた。坂口と太宰が真っ直ぐ自分を見つめている。
「今は何も考えるな。それは病んだ思考だ。堕ちるのは三人一緒だ」
「ああ、また置いてこうったってそうはいかないからな。何度でも俺が連れ戻してやる」
「……!」
 二人の言葉に織田は僅かに目を瞠った。どうしてわかったのだろうという疑問より、こんな自分でも欲してくれる歓びに心が震えた。巧く呼吸が出来ず、また咳が零れそうな胸をそっと左手で押さえる。
(ああ、もうとっくに手放せなくなっとるやん、ワシ)
 なら、素直になるしかなかった。
「……余計な心配させて堪忍な。ちょっと疲れとるみたいや……安吾、ベッド借りるで」
「ああ」
 坂口の薄浅葱が眼鏡の奥で優しく頷いた。
 織田は上着を脱いで自分の本と一緒に枕元に置くと、静かにベッドへ潜り込んだ。横になったら、意識しない様にしていた疲れが直ぐ込み上げてきた。瞼が重くてもう開けていられそうもない。それに気づいた坂口が立ち上がって肩口までしっかり布団を被せた。
「明日の潜書は気にするな。司書には俺から言っておく」
 おおきに……と儚く微笑んだ織田は力を振り絞って小さく呟いた。
「安吾、太宰クン……あまり飲み過ぎたら、あかんよ……」
 その返事を聞く前に織田は眠りに落ちていた。
「……ったく」
 軽く頭を掻きながら、坂口は再び腰を下ろした。
「一瞬で寝やがった。そこまで無理するなっての。オダサクは他人のことより、まずは自分の心配をしろ」
「言っても無駄だよ、安吾。オダサクはそやな~って笑って流すだけだ」
 太宰はグラスに残っている酒を一気に飲み干した。今夜は酒が喉を焦がす熱さより白樺派への怒りの方が上回って全く酔いを感じなかった。ダンッとグラスを机に叩きつける。
「だから、俺は許せないんだ! 俺達のために身を挺してあれの懐に飛び込んだオダサクの行動を、当然としか思わないあいつらがっ……!」
「きっとオダサクは何も考えてなかったんだろう。昔から自分の生命に執着しねえ奴だからな。あいつは近過ぎるんだ、死に……」
 坂口は酒のグラスに視線を落とした。太宰は微かに頷いた。
「あのとき……俺、冷たい手で心臓を鷲掴みにされた気がした。初めて知ったよ、安吾……人って、本当に怖いと痛いんだ……」
 思い出して太宰の手は小さく震え出した。それを誤魔化す様にまた酒をあおる。
「太宰……」
「なのに、武者小路はオダサクが侵蝕者を倒したら笑って言ったんだ。さあ、帰ろうって。それで俺、カ~ッと頭に血が上って……」
「それであの騒ぎか。相変わらず、白樺派の思い上がりは昔も今も全く変わらねえな……反吐が出るぜ」
 乱暴に言葉を吐き捨てた坂口を太宰はじっと凝視した。
「安吾、白樺派をこのままにしておくつもりじゃないよな?」
「……ああ」
 地を這う様な低い声で坂口は答えた。口の端が獰猛に歪む。
「俺達の大事な可愛い末っ子を追い詰めた罪は絶対に許さねえ。白樺派には必ず贖わせてやる……必ず、な」
 かつて無頼派と呼ばれた三人は様々な理由で麻薬に依存した。それは今生では形を変え、互いに対する強烈な愛執となっていた。その大事な一角を自分の全く与り知らぬところで失っていたかもしれない坂口の怒りは、ある意味、太宰よりも深かった。
 坂口の言葉に、消沈していた太宰の瞳が獲物を狙う猛禽類の様に鋭く光った。
「ああ、三人いれば必ず出来る」
 太宰は景気づけにまた酒を流し込んだ。早速、織田に報告しようと四つ這いでふらふらベッドに近寄る。
「お~い、オダサク、まだ起きて――……」
 しかし、その声は途中で霧散した。蒼ざめて眠る織田の姿に太宰は奈落の底に突き落とされた気がした。また失ってしまうのだろうか。この愛しい末の烏を……
「……っ……」
 太宰の瞳に涙が浮かんだ。織田の濡烏の髪に静かに手を伸ばし、壊れ物を扱う様に優しく撫でる。すっと雫が一つ頬を伝った。
「なあ、オダサク……俺達は三羽烏だろう。誰が欠けても駄目なんだ。だから、もう俺に弔辞は読ませるな……」
 そう言うと、太宰はガクッと布団に顔を突っ伏した。今まで散々胃に流し込んだ酒が一気に回って頭が沸騰する。まだ言いたいことは山ほどあるが、もう意識を保っていられなかった。そのまま、終に太宰は酔い潰れて寝てしまった。それを黙って見ていた坂口は小さく小さく呟いた。
「……俺は葬式には絶対に出ねえ。だから、オダサク、もう俺達を置いていくな……」
 そして、太宰の分も祈りを込めて一息に夜と酒を飲み干した。

 その頃……月明りが照らす薄暗い室内に微かな衣擦れと吐息の音が響いていた。ベッドの上では二つの影が溶け合っている。それは白樺派の二人……志賀は武者小路を組み敷き、乱暴に口唇を貪っていた。幾度となく角度を変え、嬲る様に舌を絡ませ、相手に息継ぐ暇さえ与えない完全に自分本位の口づけ。それを武者小路は咎めることなく、ただ瞼を震わせてその広い背中にしがみついていた。
「あっ……ふ、んっ……っ……」
 触れ合う肌はどこも熱いのに、武者小路はまだ寒かった。有無を言わさず、もっと快楽の海に叩き込んで欲しい。そうしなければ、記憶の片隅から忍び寄る冷気で凍えてしまいそうだった。しかし、不意に志賀は口唇を離した。武者小路の濡れて赤みを増した目元を親指でそっと撫でる。
「はあ……っ……志賀……?」
「悪い、武者……少し苛ついてた……」
 志賀は叱られた子供の様に小さく項垂れた。武者小路は寒さを堪えて頷いた。
「先刻の潜書で太宰君が噛みついていたからね。でも、志賀はいつも気にしないのに珍しいね。何か癇に障った?」
「ああ、ちょっとな。でも、それで武者に当たったのは悪かった。ごめん」
「気にしてないよ」
「……ったく、少しは怒れよ。そうしねえと、俺がただのガキみたいだろう」
「無理だよ。怒ってないのに、怒れない」
 武者小路は志賀を見上げてそっと頬に手を添えた。それを取った志賀はその掌に熱く口づけた。少し間を置いて、苦しそうに告白する。
「太宰の言葉に昔を思い出したんだ……俺達は、遊びで文学をやってた訳じゃない」
「志賀……」
「俺達は裕福な家に生まれ、生活に苦労したことは一度もない。だからこそ、共に美しい理想や文学について語り合うことが出来た。夢を見るのはそんなに悪いことなのか、武者……?」
 志賀は縋る様に武者小路を見つめた。
 いつも陽差しを受けて輝く新緑の様な志賀の瞳に痛ましいほどの苦悩が滲んでいた。二人とも、妬みや嫉みを受けることは慣れていた。しかし、決して傷つかない訳ではない。矜持(プライド)の高い志賀の滅多にない弱った姿に一瞬、武者小路は寒さを忘れた。両手を伸ばし、志賀を自分の胸元にキュッと引き寄せる。愛しいこの人を励ましてあげたいと強く思った。
「……確かに僕達の描く理想は現実とはかけ離れた綺麗な夢物語かもしれない。でも、人は誰しもそうありたいと願う心がある……だから、今、僕達はここにいるんだ」
「……!」
 志賀が小さく息を呑んだ。武者小路はふわりと微笑んだ。
「志賀、僕は僕達の理想を絶対に諦めない。そのためなら何だってするし、どんな批難も甘んじて受ける。だから、志賀はそれを昇華してまた素晴らしい小説を書いて。その本が僕達の正しさの証となる」
「……武者」
 その言葉は、まるで曇り日に射す一条の光の様だった。志賀はそこから心の重苦しさが払しょくされてゆくのを感じた。いつもの自信が戻ってくる……
「はあ……やっぱりお前には適わねえな、武者」
 大きく息を吐くと、志賀はゴロンと隣に横たわった。二人の間に出来た僅かな隙間も許さないと右腕が武者小路を強く抱き締める。クスクスと武者小路は笑った。
「強引だね。先刻のしおらしさはどこへ行ったのかな」
 志賀の広い胸にもたれて武者小路は冗談ぽく言った。志賀は右手で武者小路の頭を優しく抱え込んだ。
「励まして貰ったからな。今度は俺の番だ……こうすれば、少しは寒くないだろう」
「気づいて、たんだ……」
 僅かに武者小路の声が詰まった。まあな、と志賀は呟いた。
「昔から武者は笑顔の裏に溜め込むからな。背負い過ぎなんだよ、お前は」
「……そんなことないよ。僕はいつも皆を振り回している」
「武者の理想は高いからな。ついて来れねえ奴からしたら、そう見えるだけだ」
「でも、的を射ているよ……先刻の潜書だって僕が勝手に突っ走ってまた皆を振り――……」
「馬鹿を言うな」
 その言葉を途中で志賀は遮った。声に微かな怒りが滲む。
「筆頭が真っ先に行かなくてどうするんだ」
「……うん」
 武者小路は小さく瞳を伏せた。あっ、いや……と志賀は動揺した。つい感情が先走って言葉が欠けてしまった。このままでは感受性の強い武者小路に誤解されてしまう。志賀は慌てて説明を始めた。
「聞け、武者……えっと、つまりだな……太宰の言うことは気にするな。先刻のお前の行動は会派筆頭として何一つ間違ってない。間違ってるのは太宰の方だ」
「……」
「弓や銃を操る奴は刀より少ない。だから、たまに今回の様に編成が偏るのは仕方のねえことだ。俺達の第一の務めは文学を護ることだからな。だろう?」
 音もなく武者小路は頷いた。志賀は話を続ける。
「それでも大切な奴を守りたいって気持ちはわかる。だが、危険だったらその責任を誰かに押しつけるってのは違うだろう。皆、危険は覚悟の上だったはずだ。それは武者一人で背負えるほど生半可なもんじゃない。少なくとも俺の覚悟をそんなに甘く見られて堪るか。冗談じゃねえ。太宰は自分の仲間可愛さにお前や俺の覚悟を土足で踏み躙り、あまつさえ、傷つけたんだ」
 怒りがぶり返し、志賀は空いている左手で無意識に前髪をかき上げた。それは今生の志賀の、苛々するときの癖だと武者小路は知っていた。
(そういえば……)
 ふと武者小路は思い出した。潜書室で自分が太宰に責められたときも志賀は髪をかき上げていた。あれは……もしかしたら、太宰だけのせいではないかもしれない。
(あのとき、僕は太宰君に反論出来なかった。それは僕自身に彼の言葉を完全には否定出来ない後ろめたさがあったからだ。そのことに気づいたから志賀は……ああ、そうか。僕もまた太宰君と同じく志賀の覚悟を踏み躙っていたんだ……!)
 堪らず、武者小路は志賀の胸に強く顔を押しつけた。どうした、と志賀が尋ねる。
「僕は……自分が恥ずかしい」
「……?」
「僕一人で出来ることなんて限られているのに、今、志賀に言われるまでそんなこともわからなかった。酷い思い上がりだ」
「あっ、いや、俺は別にお前に怒ってるんじゃなくてだな……」
「一人よがりの驕った考えという点では僕も太宰君も同じだよ」
 武者小路は顔を上げてはっきり言い切った。
「あ~、うん……まあ、そうだな」
 志賀は気まずそうに認めた。宥める様に武者小路の頭を撫でる。
「でも、武者は自分でちゃんとそれに気づいた。そういうところは素直に凄いと思うぜ。お前の美点だ」
「有難う」
 武者小路は嬉しそうに微笑んだ。先刻まで落ち込んでいたのに現金だなと頭の片隅で思ったが、志賀に褒められたのだから仕方がない。武者小路は小さく名前を呼んだ。
「ねえ、志賀……」
「何だ?」
「無頼派と、もっと巧くやっていけないかな。僕達はきっと似ていると思うんだ」
「さあな。ただ、あいつらにその気は欠片もねえだろうな」
 どうでも良いことの様に志賀は答えた。そうだよね……と武者小路は呟いた。志賀は天井をじっと凝視した。やがて静かに口を開く。
「……武者、俺は売られた喧嘩を買う気はない。だが、これだけは言っておく。昔も今も文壇を率いるのは俺達、白樺派だ。あいつらがあまりにも目に余ったら……また容赦なく潰す」
 それは全く温度のない無機質な声だった。少し間を置いて、武者小路は言った。
「……怖い神様だね」
「知ってるだろう、武者? 神様は自分に逆らう奴は決して許さねえんだ」
「どうするつもり? 僕達は二人……数では勝てない」
 武者小路は心配そうに志賀を見つめた。
 志賀が武闘派なのは良く知っていた。昔もボートや自転車に熱中して学業を疎かにするあまり二度も落第した。お陰で、二人は知り合ったが、今生もそれは変わらなかった。相変わらず、しなやかで均整のとれた志賀の身体はその書き上げる文章と同じく全く無駄がなかった。しかし、相手は三人……各々が侵蝕者と対峙したときに見せるあの戦いぶりは決して侮れなかった。志賀の口の端が小さく上がる。
「あの三羽烏には決定的な弱点がある……皆には必死に隠してるがな」
「弱点……」
 武者小路は言葉を繰り返した。何だろう……?
「末の烏……あいつは身体が弱い」
「……!?」
「だから、無頼派は耐久戦を極度に嫌うんだ。長引けば、末の烏がもたない」
「……知らなかった」
「末の烏が落ちれば、躁鬱の激しい二の烏は勝手に自滅する。残った一の烏だけなら俺一人で充分に倒せる」
 新緑の瞳に残酷な光が灯り、志賀の口唇が冷たく歪んだ。すると、武者小路は志賀の頬を軽く両手で叩いた。パンッと乾いた音が響く……
「僕達で、だよ。そんなこと一人ではさせないよ、志賀」
「武者……」
 驚いた志賀は何度か目を瞬かせた。そして、嬉しそうに頷いた。
「わかった。そのときはお前も一緒だ」
「うん」
 武者小路は恍惚と微笑んだ。
 いつも細かいことは気にしないのに、その実、恐ろしいほど合理的で容赦のない志賀が自分にだけ寄せる無垢な信頼が心地良かった。それは百万の言葉で裏打ちするより確かな想いをこの身に伝えてくる。
「志賀……」
「……ああ」
 志賀は再び武者小路を組み敷いた。触れ合う二人の肌から、身体から情欲が溢れ出す。武者小路は自ら足を広げ、恋人をより深く迎え入れた。志賀がその白い首筋に顔を埋めて低く囁いた。
「……お前は真っ直ぐ前を見てれば良い。そうしたら、俺がお前の望む理想郷へ連れてってやる……」
「う、ん……」
 武者小路の口唇から甘い吐息が零れた。そうして二人はまた静かな夜に溺れていった……
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Date:2017/12/18
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