【Annexe Café】 口づけて
 

Annexe Café

□ 短編 □

口づけて

  しとしとと戦場(いくさば)に降る雨を含んで落ちてきた前髪を小十郎は煩そうにかき上げた。その程度のことで黒龍を操る手が乱れるはずはなく、集中も途切れはしない。しかし、この優秀な軍師は心中、密かに呟いていた。まずいな、と。
  まるで薄い絹の様に周囲を包み込むその雨は、両の目を持つ者にさえ物の輪郭を見づらくしていた。ましてや一眼では更に捉え難いだろう。それが主にとって不利になるとは思わないが……
  少し離れた場所で戦う政宗に小十郎はそっと瞳を流した。
  政宗は正面の敵が振り下ろす槍を軽々とかわし、一刀で相手を肩から大きく切り捨てた。そうして流れるまま、左から襲い来る敵を横に薙ぎ払う……が、その切っ先は寸前でかわされてしまった。ちっ、と政宗は舌打ちした。小十郎、と声を張り上げる。
  「面倒だ! 一気に片を付ける!」
  「承知」
  腹心の返事と同時に政宗の六爪が鋭く抜き放たれた。

  その夜、政宗は脇息(きょうそく)に左肘をつきながら、燭台を仄かに灯しただけの私室に一人、無言で酒を飲んでいた。しかし、盃を持つ手は殆ど進んでいない。ふとそんな自分に気づいて、苛々とそれを畳に投げ捨てた。
  ”Shit.”
  小さな呟きが薄暗い空間に大きく響いた。そのとき、廊下から障子越しに小十郎の低い声が聞こえてきた。
  「政宗様」
  「……何だ?」
  「入っても宜しいですか?」
  「……ああ」
  たとえ、それが閨でも小十郎を拒んだことはないのに、この生真面目な副将は一々伺いを立ててきた。それが今は妙に癇に障った。そんな自分を政宗は心の奥でまた低く罵った。静かに襖(ふすま)が開き、小十郎が入って来る。
  「今日の戦は存外に手こずりましたので、お疲れと思い、薬湯をお持ちしました」
  「要らねえよ、そんなもん。これで充分だ」
  政宗は目の前にある徳利をぞんざいに顎で指した。小十郎が落ちている盃に軽く視線をやった。
  「その割には、あまり進んでない様ですが」
  煩え、と政宗は呟いた。そして、ぼんやり小十郎を眺めた。
  そこにいるのは、まさに知将と謳われるに相応しい物静かで理知的な男だった。戦場(いくさば)で見せる、あの生を屠る獣の様な狂気は完全に鳴りを潜めている。一体、どれがこいつの本当の姿なのか、と思った。
  (いつか俺が天下を手中に収め、もうやることがなくなったら……そうだな)
  ふっ、と口唇に昏い微笑が浮かぶ。己が右目に六爪を突き立て、そいつを暴いてみるのも良いかもしれねえ。
  不穏な気を放つ主を、しかし、小十郎は全く意に介すことなく平然と傍に腰を下ろした。そうして手にしていた盆をすっと差し出した。
  「どうぞ」
  「……」
  病んだ思考に囚われたまま、政宗は無言で薬湯へ手を伸ばした。指先が器の淵を掠める感覚にハッと我に返る。
  ”Damn it!”
  今夜、何度目かの罵り声を上げ、政宗は左目を押さえた。やはり、と小十郎が呟いた。
  「あの雨で遠近が狂いましたか」
  「……相変わらず、良く見てるな」
  「無論です。政宗様が敵を切り損ねるなどあり得ません。あのときから、もしや、とは思っていました」
  「Not to worry.このくらい直ぐに治る。別にこれが初めてって訳でもねえしな」
  政宗は疲れた様に顔から手を離すと、脇息(きょうそく)に深く身体を預けた。気怠そうに小十郎へ目をやる。
  「お前、まだそこにいるつもりなら酒でも注げ」
  「今宵はこのくらいに致しませ、政宗様」
  「そうして代わりにそれを飲めってか。はっ、そんな苦そうなものはご免だ」
  下げろと政宗は右手を振った。
  「大丈夫です。これは苦くありません」
  ”Dead,no!”
  政宗は頑なにそれを拒否した。
  幼い頃、大病を患った政宗は薬師達が調合した薬を散々飲まされた。あのとき、誰もが口を揃えて、これは苦くありません、と言った。しかし、本当にそうだったことは一度としてなかった。
  「味見もしてねえ奴の言葉が信じられるか」
  政宗は徳利に手を伸ばして直に酒を煽ろうとした。すると、その手首を小十郎がきつく捉えた。ギリッと肌に食い込む指の感触に政宗が僅かに眉を顰めた。
  「ならば、小十郎がこれを飲んだら信じて頂けますか?」
  低く問う小十郎に、政宗は挑戦的に答える。
  「ああ、お前がきっちり味を確認したら飲んでやる」
  「承知しました」
  小十郎は左手で薬湯を取ると同時に、右手で政宗の腕を自分の方へ強く引っ張った。
  「うわっ……!」
  予想外の行動に不意を突かれ、政宗は小十郎の胸に倒れ込んだ。痛えじゃねえか、と睨みつけた視線の先に薬湯を飲む小十郎の姿がある。よし、と政宗が密かに拳を握り締めた瞬間――……
  「んっ……!」
  口唇が重なった。
  小十郎は政宗の抵抗より早く舌を捩じ込むと、強引に薬湯を流し込んだ。政宗の隻眼と小十郎の右目が、まるで刀でつばぜり合いをするかの様に激しくぶつかった。互いに一歩も譲らない。やがて無理やり口腔に含まされた薬湯が政宗の口の端からゆっくり溢れてきた。細い顎を伝い、白い首筋へと流れ落ちる。
  「……っ……」
  コクリと政宗の喉が鳴った。政宗は小十郎の目を凝視しながら、少しずつ薬湯を飲み込んだ……一口、二口と。同時に舌が小十郎に熱く絡みついた。
  「ふっ……ん……」
  政宗の甘やかな吐息に煽られ、次第に小十郎も口づけを深めて貪ってゆく。その瞳の奥に誤魔化しようのない欲望を見て取った政宗は満足げに目を細めた。
  「は、あ……っ……」
  「お味はいかがですか、政宗様?」
  口唇を僅かに離して小十郎が囁いた。
  「……苦くはねえ」
  小十郎の腕の中で政宗は小さく呟いた。だが、と言葉を続ける。
  「零れた」
  「申し訳ありません。それは小十郎の不手際」
  「なら、どうすれば良いか……わかってるな?」
  政宗は小十郎の頬の傷を指先でつつっとなぞった。
  龍の右目の本性を暴くのに天下を統一するまで待つ必要はなかった。政宗が肌を許す度に、小十郎は秘めたる己を曝け出す。そのときに感じる愉悦は政宗を意識の底まで甘く痺れさせた。それを再び味わうためなら、何度、この身を小十郎に喰らわせてやっても良いと思うほどに……
  「小十郎……」
  政宗が不敵に微笑んだ。答える代わりに小十郎は頬にある指を取り、その掌に狂おしく口づけた。そして、蒼き龍の喉元へ獰猛な舌をゆっくりと這わせていった。
*    *    *

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Date:2012/04/28
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Thema:二次創作:小説
Janre:小説・文学

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